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中国 リチウム電池セパレータ及び製造方法に関する特許の無効審判

2025年 5月12日
 弁理士法人 浅村特許事務所


中国 リチウム電池セパレータ及び製造方法に関する特許の無効審判


 



浅村特許事務所
中国弁護士   鄭 欣佳

 
 特許の重要成分を「市販」という用語で限定し、記載が不明確と判断され、約20億円の侵害訴訟を取り下げなければならない無効審判の案件です。


リチウム電池セパレータ及び製造方法に関する特許の無効審判  

 2023年12月、リチウム電池セパレータ及び製造方法に関する特許権を有する河北金力新能源科技股份有限公司(以下、「特許権者」という。)が広州知識産権法院に特許権侵害の訴訟を提起し、相手の上海恩捷新材料科技有限公司(以下、「恩捷社」、「請求人」という。)に対し、差し止め及び9900万元(約19億円)の損害賠償を請求しました。

 対抗手段として、2024年 3月に恩捷社は、ZL201810859589.9号特許(以下、「本件特許」という。)を対象に、無効審判を請求しました。

  その理由は、

① 明細書に記載した技術手段は不明確であり、当業者は、創造力を発揮しないと、技術的解決策を実行し、対応する技術的問題を解決することができない。

② 比較例として1種類のPVDF分散液だけが挙げられており、全ての市販PVDF分散液の効果を予測することは期待できず、最終製品においてPVDF粉末樹脂からのPVDFと、市販のPVDF分散液からのPVDFを区別付けすることができない。

  などがありました。

 請求人は、本件特許明細書の記載が専利法26条第3項の規定に違反すると主張し、本件特許の全部無効を求めました。  

本件特許の全貌を掴むため、請求項1の一部を引用します。

  請求項1:
 基底膜及び当該基底膜の片面または両面にコーティングされたPVDFコーティングを含むリチウム電池のセパレータであって、前記PVDFコーティングは、水性PVDFスラリーを用いてコーティングすることにより得られる。
 前記コーティングの厚さが1〜3μmであり、前記水性PVDFスラリーが、重量比率で計算すると、10%〜12%の基材が含まれ、残部が脱イオン水であることを特徴とする。前記基材は以下の質量部からなる:PVDF10〜30質量部、分散剤1〜3質量部、増粘剤1〜3質量部、消泡剤1〜3質量部、粘結剤0.5〜1.5質量部;   
 前記PVDFは、以下の質量パーセントからなる:60〜90%のPVDF樹脂粉末、10〜40%の市販のPVDF分散液;   
……

 専利局の復審及び無効審理部は、本件特許の改善点を以下のようにまとめました:

 本発明では、PVDFの供給源としてPVDF粉末樹脂および市販のPVDF分散液を使用し、基材として使用されるPVDFは、60〜90%のPVDF粉末樹脂および10〜40%の市販のPVDF分散液からなる。
 上記の改善点により、PVDF粉末樹脂や市販のPVDF分散液を使用してコーティングを調製した場合、粘着性の不足及び通気性が適切ではない問題が克服される。本発明は、PVDFの供給源として60〜90%のPVDF粉末樹脂と10〜40%の市販のPVDF分散液を使用し、さらに他の成分を添加することにより、水性PVDF混合スラリーを得る。上記混合スラリーを塗布・乾燥して得られたリチウム電子電池用セパレータは優れたものであり、電極シートとの間に優れた粘着性を有しながら、通気性の数値が適切であることを保ち、イオンの遊動を確保することができる。
 当該セパレータにより製造された電池は良 好な性能を有する。

 従って、本件特許にとって、PVDFの供給源として、PVDF粉末樹脂と市販のPVDF分散液の配合比が技術課題を解決する鍵であることがわかります。
 しかし、肝心の「市販のPVDF分散液」について、明細書には明確な技術開示がなく、開示不足という欠陥がありました。

 詳しく述べると、市販のPVDF分散液の化学的性質は不明確である。
「市販」という用語の意味が不明確であり、文字通りに考えると、市販されていることを意味すると理解される。
 しかし、異なるタイプの分散液は異なるプロセスにより製造され、異なる溶媒、異なる粒子径、異なる分散剤、異なるPVDFの割合を有する。当業者は「PVDF分散液」がどのような特性を持っているのを知ることができない。
 明細書には、市販のPVDF分散液が良好な分散性能を有するという記載があるが、性質を定める記載に過ぎず、当該「市販のPVDF分散液」の成分や配合比に関する記載がなく、化学修飾の有無に関する記載もない。「市販のPVDF分散液」の中の分散剤は本件特許の自製PVDF分散液との間に相容性があるかどうかなどの記載もない。
 また、当該分野の技術常識として、PVDF分散液のメーカーによって、製造工程と特性が大きく異なるため、当業者は創造力を発揮しなければ、本件特許で自製された分散液に適応する「市販のPVDF分散液」を選ぶことができない。

 特許権者は、本件特許で保護されるセパレータの製法は、市販のPVDF分散液の共通性を利用している。
 その共通性は、市販のPVDF分散液は分散性が良好であり、自製のものはそうでもないと主張した。市販のものは特殊な製法を用いており、PVDF粉末樹脂及び市販のPVDF分散液の割合だけを明確にすれば、本件特許の実施は可能である。

 これに対して,復審及び無効審理部は、特許権者の主張は理由がないと評価しました。

 特許明細書の記載によると、自製PVDF分散液はPVDF粉末樹脂を分散剤と脱イオン水と混合して得られる物質であり、その分散性能は分散剤と製造ポロセスによって異なる。市販PVDF分散液は、PVDF粉末に分散剤を添加したものであってもよいし、他の化学修飾成分を添加して形成したもの、すなわち前記化学修飾は分散剤の形態ではないものであってもよいが、いずれの方法でも分散性能を向上させることができる。自作PVDF分散液に分散剤を添加することで、分散性も良くなるので、分散性能の面だけで考えると、両者に区別をつけるのはできない。

 また、特許権者は市販PVDF分散液が特殊な製法を用いたことを明細書に記載されておらず、自製PVDF分散液との特性の違いを裏付けるデータや比較実験もない。

 要するに、自製PVDF分散液と市販PVDF分散液との区別をつけることができない場合、本発明の技術的課題を解決するために、自製PVDF分散液に適合した市販PVDF分散液を選ぶ方法が不明確であり、当業者は創造力を発揮しないと本件特許を実施することができない。
 従って、本件特許の明細書は技術的解決策に対する公開が不十分であり、専利法26条第3項の規定に違反する。

 上記以外、復審及び無効審理部は明細書の実施例及び比較例の実験データが完備ではなく、主張する技術的効果を検証することができないという理由も挙げました。

 結果、本件特許は全部無効と宣告され、特許侵害訴訟の法的根拠を失い、訴えが取り下げられました。

 この案件で、特許の重要成分であるもの、その成分及び配合比を明確にしなければなりないことがわかりました。
 当業者がその重要成分を理解することができなく、特許の実施が困難である場合、明細書の公開が不十分であり、専利法の違反となります。
 

 


注釈:

 ① 明細書では、発明又は実用新案に対し、その所属技術分野の技術者が実現できること を基準とした明確かつ完全な説明を行い、必要時には図面を添付しなければならない。
要約は発明又は実用新案の技術要点を簡潔に説明しなければならない 。