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中国 ルキソリチニブリン酸塩に関する特許無効審判

2025年 9月22日
 弁理士法人 浅村特許事務所


中国 ルキソリチニブリン酸塩に関する特許無効審判


 




優先権の適用要件及び引用文献における新旧法の適用に関する説明です。

 

ルキソリチニブリン酸塩は米インサイト・コーポレーション(以下、「特許権者」という。)が開発した世界初のJAK阻害剤です。
そのJAK阻害剤を有する錠剤は骨髄線維症や真性多血症の治療薬として、2011年にアメリカで販売され、2017年には中国でも販売されており、これまでで最も広域で使用されています。

 特許権者は、ルキソリチニブリン酸塩の主要成分を主とする中国における特許戦略を講じ、一連の特許を取得しました。
 多くの製薬会社がその一連の特許にチャレンジしてきました。

 今回の請求人である重慶華仙医薬有限公司もその中の一社です。
 2024年 8月、請求人は「JANUSキナーゼ阻害剤(R)-3-(4-(7H-ピロロ[2,3-d]ピリミジン-4-イル)-1H-ピラゾール-1-イル)-3-シクロペンチルプロパンニトリルの塩」という特許(以下、「本件特許」という。)に対し、無効審判を請求しました。

 本件にはいくつかの争点がありますが、今回はその中の二点について説明いたします。

  ①   優先権主張において、「同じ主題の発明」の判断基準

  ②   引用文献の公開時期における、新旧「専利審査指南」の適用

 本件特許の請求項1には、化合物(R)-3-(4-(7H-ピロロ[2,3-d]ピリミジン-4-イル)-1H-ピラゾール-1-イル)-3-シクロペンチルプロパンニトリル(以下、「ルキソリチニブ」という。)の3つの塩、マレイン酸塩、硫酸塩及びリン酸塩に関する記載があります。
 当該特許明細書の背景技術として、米国出願(出願番号11/637,545)が引用されており、そこにはルキソリチニブに関する特定のJAK阻害剤が開示されています。

 さらに当該明細書には、本発明の目的は、上記の内容に基づきルキソリチニブの塩(マレイン酸塩、硫酸塩またはリン酸塩)を提供することにある、と記載されています。これらの塩は、1種または複数のJAKの活性を調節し得るのみならず、遊離塩基形態および他の塩形態と比較して非常に有利な特性(優れた溶解性、崩壊性、化学安定性(長期保存性を有する)、賦形剤との相溶性および再現性)を有します。

 明細書の実施例1~3においては、ルキソリチニブを対応する酸と反応させ、そのマレイン酸塩、硫酸塩、リン酸塩を製造し、得られた生成物を測定、分析しています。
 最後の実施例Aにおいては、インビトロ JAKキナーゼの解析方法が示され、「本発明のリン酸塩、および対応する遊離塩基化合物は、JAK1、JAK2およびJAK3のそれぞれに対するIC50値が50nM未満であることが判った」という測定結果を得ました。

 1.優先権主張において、「同じ主題の発明」の判断基準

今回の争点につきまして、2つの証拠が関係します。 一つは、証拠1:シリーズコードUS60/943705であるアメリカの仮出願であり、本件特許の優先権書類です。本件特許の明細書と比較すると、上記の実施例A及びその結論に関する記載のみが欠落しています。

もう一つは、証拠2:本件特許及び優先権書類に記載された米国特許出願であり、特許権者の先行発明に該当するものでもあります。証拠2の発明の目的は、JAKの活性を阻害する化合物を提供することにあります。その明細書の実施例67には、ルキソリチニブ(R配置の化合物)及び対応するS配置の化合物のトリフルオロ酢酸塩が具体的に記載されています。それぞれについてJAK阻害剤を測定したところ、両トリフルオロ酢酸塩はいずれも活性を有し、また、一方の化合物の活性が他方の活性より高いことが記載されています。

その上、上記実施例Aも、証拠2に記載されています。
請求人は、優先権書類において効果実験及びデータが欠如し、また証拠2の公開時期も「専利審査指南」における引用文献に関する要件を満たさないことを指摘し、従って本件特許出願に関する優先権の主張は成立せず、証拠2は本件特許の先行技術に該当するため、進歩性は否定され得ると主張しました。

これに対し特許権者は、証拠2で公開した上記の内容について、下記のように主張しました。
実施例67は明確にルキソリチニブを公開、表記、合成し、明確に発見された化合物は活性があるJAK阻害剤であることを言及した唯一の実施例である。実施例Aが提示した基準に基づき、当業者はルキソリチニブのJAK阻害剤としての活性を確信することができる。
これに対し、請求人は以下を主張しました。 JAKキナーゼは、少なくとも4種類がある。証拠2の公開した内容には多数の化合物があり、これらの化合物はJAKに対して活性があるかどうか、またはどの種類のJAKに対して活性があるのかを確認することができない。
証拠2の実施例67には「活性があると判った」という表現はただの断言に過ぎず、活性に対する検証結果ではない。
従って、このような表現によりルキソリチニブの効果を認定することはできない。

合議体は、請求人及び特許権者の証拠2に対する意見の相違について、下記の判断を下しました。
まず、証拠2の記載から、そのJAKの活性を測定する方法は本件特許の測定方法とほぼ一致している。ただ、本件特許に「本発明のリン酸塩、および対応する遊離塩基化合物は、JAK1、JAK2およびJAK3のそれぞれに対するIC50値が50nM未満であることが判った」という記載がされているのとは異なり、証拠2には化合物の測定結果に関する記載がなく、記載の最後にJAK活性の判断基準のみを示しているのである。

また、当業者は実施例67の記載に基づき、当該実施例に以下の作業が含まれていると認識することができる。
最終産物R配置及びそれに対応するS配置の化合物のトリフルオロ酢酸塩が得られたJAK阻害する活性測定において、上記2種類のトリフルオロ酢酸塩はともに活性を有し、その中の一種の活性はもう一種よりも高い。
当業界の公知常識「塩になることは、通常、薬物化合物の活性を失わせることがない」を併せて考えると、証拠2にはルキソリチニブ及びそのS配置体のトリフルオロ酢酸塩がともにJAKの活性阻害剤であると記載されているため、当業者は明白に「ルキソリチニブはJAK阻害活性を有する」という結論を導き出すことができる。

従って当業者は、本件特許に記載されている証拠2に関する内容は客観的であり、証拠2が実際に公開した内容と一致していることを確認することができる。

合議体の判断は、引用文献に明確な実験結果があることに拘泥せず、断定的な表現のみの記載であっても、引用文献としては成り立つことを示しました。

優先権に関して、「専利法」第29条にはこのような規定があります。「出願人が発明又は実用新案の専利を外国で最先の出願日から12カ月以内に……優先権を享受できる」。
本件特許の請求項1~4は、化合物ルキソリチニブの三つの塩であるマレイン酸塩、硫酸塩またはリン酸塩に関する記載、請求項5は当該塩の製造方法に関する記載、請求項6~8は当該塩を含む医薬組成物に関する記載、請求項9~61は当該塩の製薬用途に関する記載、となっています。

 

請求人は、下記の理由により本件特許の優先権が成立しない旨主張しました。

 ① 本件特許の優先権書類(証拠1)は三種類の塩の製造方法のみを提供しており、この三種類の塩の効果実験及び効果に関するデータの提供がなされていない。

 ② 先行技術にはルキソリチニブの塩の効果に関するデータはなく、その技術的効果は先行技術から予測することができない。

 ③ 証拠2の公開時期は「専利審査指南(2006)」の引用文献に関する規定に違反しているため、その内容は本件特許の明細書の一部としてはならない。優先権書類に記載しない技術的効果は、発明が完成するのに必要不可欠な内容であるため、先行文献から引用してはならない。証拠2には、ルキソリチニブ又はそのリン酸塩の活性を確認できるデータが記載されておらず、本件特許の優先権を有するための証拠とはならない。

本件の特許出願日の場合には、本件特許の審査は「専利審査指南(2006)」が適用されます。
この「専利審査指南(2006)」には、優先権において、同一主題の発明の定義における次の規定があります。
専利法29条にいう同一主題の発明或いは実用新案は、技術分野、解決しようとする技術的課題、技術的手段および予期される技術的効果が同一な発明或いは実用新案をいう。 
つまり、同一主題の発明であるかどうかを判断するとき、上記の四つの要素を考えなければなりません。

薬品化学分野においては技術的効果を予測することは困難であるため、記載された発明の用途・予測効果を実現させることを当業者に確信してもらうため、通常は、明細書に記載した用途・予測効果の定性または定量データに関する実験データの記載が求められます。従って、当該分野の「同一主題」に対する判断において、先後願が同一の技術的効果を実現しているか否かを判断する場合、実験データを特に重要視しています。

本件特許の引用文献には、ルキソリチニブ及びそのJAK阻害剤としての用途が記載されています。
本件特許は引用文献に基づき、ルキソリチニブの三種類の塩を提供することにより、より効果が良い薬物製剤を得ることができました。
引用文献に基づき、当該分野の公知常識「塩になることは、通常、薬物化合物の活性を失わせることがない」を併せて考えると、当業者は容易に「その三種類の塩がJAK阻害剤として使えるはず」という結論に想到し、引用文献に記載されている測定方法により検証することもできます。

従って、請求人が主張した証拠1の技術的効果に対する公開が不十分であるという主張は成立しません。

本件特許出願における優先権種類の証拠1に追加されたJAK阻害活性に関する測定結果は、前述した内容に対する単なる補強であり、新たな技術的効果と有するものと認定されるべきものではなく、先願主義の原則に反するものでもありません。

従って、本件特許の優先権書類である証拠1には本件特許の明細書に記載しているJAK阻害活性の測定方法・測定結果が記載されていませんが、当業者は引用文献の記載により優先権主張元の先の出願における技術分野、解決しようとする技術的課題、技術的手段および予期される技術的効果を正しく理解することが可能です。

本件特許のクレーム1に記載されている技術的構成は前述の4つの要素において優先権書類の記載と一致しており、同一の主題の発明と判断することができます。同様な理由により、本件特許のクレーム2~61も先の出願に対する優先権を有します。

 

 2.引用文献の公開時期における、新旧「専利審査指南」の適用

また、請求人が主張した証拠2の公開日は「専利審査指南(2006)」の引用文献の要件を満たさないとする点について、合議体は下記の判断を下しました。

「専利審査指南(2006)」には、引用文献について以下の規定が示されています。 「引用文献はさらに以下の要件を満足しなければならない:……(2)引用される非専利文献及び外国の専利文献の公開日は本件出願の出願日以前でなければならない。
引用される中国の専利文献の公開日は本件出願の公開日より遅いものであってはならない。」
他方、現行の「専利審査指南(2023)」は引用文献について、以下の改正を行っています。
「……(2)引用される非専利文献の公開日は本出願の出願日以前でなければならない。
引用される専利文献の公開日は本出願の公開日より後であってはならない。」
証拠2は米国の特許文献であり、その公開日は2007年 6月14日であって、本件特許の優先日2007年 6月13日の後であったが、優先権書類(証拠1)のPCT国際公開日2008年12月24日よりは早かった。

従って、引用文献として、証拠2の公開時期は「専利審査指南(2006)」に違反しているが、現行の「専利審査指南(2023)」には適合している。
「専利審査指南」の改正は、引用される外国特許文献の公開時期の制限を緩和し、背景技術における引用は実情に応じ、発明の背景及び文献をより正確に反映することができ、発明に対する理解、検索及び審査により有益である。

本件は「旧法が優先的に適用されるが、当事者に有利である場合は新法が優先的に適用される。」という原則に従い、改正後の「専利審査指南(2023)」を適用し、優先権が適用される日は2007年6月13日である。
  
本件において、優先権書類には薬品の効果に関する実験データの記載がありませんが、引用文献には効果の測定方法に関する記載があり、当該分野の当業者は測定方法に従って、薬品の効果を検証することができます。その上、本件特許の明細書には、引用文献と同じような測定方法が記載され、その方法によって測定された薬品の技術的効果及び実験データも記載されています。

引用文献は技術的効果において、優先権書類と本件特許と繋がりました。 
もっとも、実験データを優先権書類に記載するのは、一番確実なやり方だと考えられます。

また、引用文献の公開時期について、「専利審査指南」の適用に、「旧法が優先的に適用されるが、当事者に有利である場合は新法が優先的に適用される。」という原則も通用されます。
もっとも、引用文献といっても、すべての内容が明細書の一部として扱われるわけではありません。
特許の中に、引用文献に関する明確な示唆が有する場合のみ、当該部分は特許明細書の一部となります。

従って、発明に必要不可欠な内容について、他の書類を引用する形で明細書を作成するのは避けたほうが良いと考えられます。